そうだ、昔祭りやってたけど
やったことって、みんなが高いエネルギーにあって
一人一人ができることを持ち寄る。
一人一人の純度の高い行動が共鳴していくだけだった。
役割とかやることとかはいろいろあったけど、
場のエネルギーの本質はそれだけだった。
そうなるためには、、、と言うのを仲間で考えいつも生贄的な事をしていた(笑)
生贄は理解を求めない、むしろ理解されない方がいい。
その方が純粋なエネルギーとして何かが伝わる。
なんて嘯きながら、実験を繰り返したなぁ。。
全身全霊をかけて、起こした行動は、理解されなくても、文脈としてのこり、後で大きな流れとして帰って来たり、そんなエネルギーの流れをリアルに感じていた。
なんか思い出した。

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