自分の中で抱えている汚い部分、醜い部分、弱い部分を隠している間、見せられない間は“愛される” という体験を本当の意味ではすることはないでしょう。なぜならば、本当に愛されて包み込まれて安心する体験とは、自分の中で一番醜く、汚く、弱く、そしてもっとも許せない自分を丸ごと愛される体験だからです。美しく着飾った姿を愛されるより、全てを曝け出した丸裸の自分が『あなたは、なんて美しく魅力的なんだ。大好きだ。愛してるよ。』と深く愛される体験はどれだけの癒しと安心を僕らにもたらしてくれることでしょう。世の中的な地位や、名誉や、年収で固めた姿を愛されるより、何がなくてもただひとりの人間としての自分が『あなたは、存在そのものがあまりに素晴らしくて美しい。本当に愛してる。』と深く愛される体験が、どれだけの自信と誇りを僕らにもたらしてくれることでしょう。つまり、僕らが本当の意味で愛されることを実感したいのであれば、何もない無防備な自分で、その人の前にいるということです。自分を演出したり、護ったり、美しく着飾ってくれるものなど何もない丸裸の自分でいるということです。そのもっとも弱い自分で、全てをさらけ出す覚悟ができたとき、一歩を踏み出すことができたとき、初めてあなたは “ありのままの自分を愛される” という体験をすることになるでしょう。同時に、自分はずっと愛されていたということを思い出すでしょう。