バリバリー生命仮説05〜宿せば毒、開けば華

うーん、命の配列についてかいたやつ、出てこない。

昔バリバリーの初期にかいたやつ。
体内に宿せば毒、外に開けば華。

(2014年1月4日)

あれ、実は人間って毒を持つから生きれてるのではないの??そう思った。

少量の毒があるから、身体は異物を感知して体力を燃やして、身体の中を掃除できたりする。生姜も唐辛子も、附子もそう。
他人が家に上がり込む気配を認知するから、部屋が片付く。他者という異物を感知するから内が整うのだ。

綺麗になりたいっていって努力するのもいいが、人間は完璧に綺麗な真っ白な存在にはなれない。周りが汚れてるのに心身を真っ新にできる人は、ある意味心がある一つのことにとらわれてるからできること。言葉を変えれば完璧主義の毒を心に宿しているからできる。

意識は灰色ー白黒ー五色へ変化していく。白黒がついた時点でその偏りはもう世界に現れてしまったのだ。その時点で自己が生まれ毒が生まれる。

肉体の毒はある程度で変えられるが、心の傾向の毒はそうそうたやすく取れるものではない。30年?一生?三代?苦しみ抜いたすえ、やっと神の恩寵のようにやめられるだけ。つまり、一切皆苦である。しかし苦しみは喜びとワンセット。苦しみか喜びか、焦点を当てる場所でいくらでも変化できる。どうせ苦しむなら美しさの中で苦しんだ方が僕は楽しい。

人は皆毒を宿していて、けしてそれから逃れることはできない。ただその毒を自己の魂から遠く離れさせ、いかに美しく昇華させるか。

その一点においてのみあなたは試されている。別に綺麗に誠実になんてならなくていい。または徹底的に誠実になりきってもいい。苦しめ、苦しめ、その身体に宿した毒を美しく世界へぶちまけろ。

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(2015年1月14日のFB投稿より)

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