おお、自分がいないというのになんかきたー。
何か思うと重くなるから、
その世界では作れないのだよね。それを。
お昼に想いのある人に、
思い入れのある場所で
食べてもらうおかずを朝作ってた。夫に食べて味見してもらうと
「なんかいつもと違うなぁ。」
って、そうやんねぇ。何か違う。
「いつもは、色んなもののハーモニーを
感じるけど、それがいつもより出てない感じ」と言われて、気づいたことがある。
普段は、美味しく作ろうとか思ってないけど
今朝は、美味しく作ろうと思ってた。普段は、目の前の食材を見てるけど
今朝は、食べて欲しい人の評価(美味しいと思われたい)を見てた普段は、私はいないけど、
今朝は、私が作ろうとしてた。あちゃー。
これ私、自分が、「気をまとう」
食卓ワークショップで、伝えてるやつやのに(笑)自分が誰かの評価のために料理したら、
その自分が押し入った分、何かの調和が
図れなくなるし、これ続けると疲れるんだよね。(数年前、私が定期的に受けてた
お菓子の提供のお仕事を断るきっかけに
なったのも、その疲れから。
最初は喜びからやりだしたのに、
ついその結果や評価にいくと、
それが、つまらなくなったり
疲れちゃったりしますね…)料理に疲れるから、料理が苦手になったり
嫌いになったりする人もいる。ほんとは、自分の身体をもてなす法の
1つが料理なのにね。最後の仕上げ前に、
食べてもらってる食卓の雰囲気だけをイメージ。
どう言われたいか、どう思われたいか
じゃなく、雰囲気。あくまでここ。そして、あとは、お任せして食材と創る。
その雰囲気の一つの演出物が「ごはん」
なだけで、「ごはんの味」が雰囲気を決定する
わけではないから。子供の頃、母がよくいってた、
考えて作ったら美味しくなくなる、
って、いうのは、こういうこと。
コメントを残す